横浜弘明寺呼吸器内科・内科クリニックの医師紹介ページです。
理事長および院長をはじめスタッフ一同、患者さまに選ばれるクリニックでありたいと願っております。
これからも患者さまを常にサポートしていきたいと思っております。
経歴
平成9年横浜市立大学医学部卒業。
呼吸器内科専門医として活躍する一方、現代医学の限界を痛感。
医学研究による解決を目指し、横浜市立大学大学院入学。
分子細胞生物学を専門として、がん転移に関連する細胞機能の研究を行い、平成17年医学博士取得。
その後再び臨床の現場に戻り、横浜船員保険病院呼吸器内科で勤務。
多くの患者さんと向き合う中で、最大の問題は症状がひどくなってからでないと来院してもらえない医療の世界の構造的な問題であると認識。
この問題解決のために「症状がまだ軽いうちに気軽にかかってもらえるクリニックをつくろう」と決意し、平成19年横浜市南区に呼吸器内科専門の「上六ツ川内科クリニック(現名称:横浜弘明寺呼吸器内科・内科クリニック)」を開院。
病気が進行すると改善が難しい呼吸疾患の早期発見・早期治療の重要性を伝えている。
現在、毎月500人以上の喘息患者と100名以上のCOPD患者を診療。
諸悪の根源であるタバコの撲滅と禁煙治療に力を注ぎ、呼吸器疾患で苦しむ人のいない社会の実現を目指している。
年間約100名の禁煙指導を行い、84.6%の禁煙成功率を達成している。
メディア出演
呼吸器で苦しむ人々をなくす
当院の活動が
BS-TBS「ヒポクラテスの誓い」
に取り上げられました。
こちらの動画で当院の診療の
様子をご覧下さい。
書籍
「2014最新版 現代の赤ひげ 医療最前線の名医12人」(現代書林)
「頼れるドクター横浜 2016-‐2017 ドクターズファイル 特別編集」(ギミック)
「ご近所ドクターBOOK2016」(ぱど)
講演/セミナー
その他、アステラス製薬、ノバルティスファーマ、グラクソ・スミスクライン、杏林製薬など、製薬会社主催の講演会・社内研修会で喘息・COPDに関する講演多数。
横浜弘明寺呼吸器内科・内科クリニックでは「地域密着の姿勢を保ちながら専門性の高く信頼できる医療」をモットーに私の専門分野である呼吸器内科の診療を中心として、内科・小児科の診療を スタッフ一同全力で行っています。
皆様の健康の窓口として、どんなことでもお気軽にご相談ください。
皆様、はじめまして。
この度、横浜弘明寺呼吸器内科・内科クリニックの院長となりました林 伸充と申します。
ご挨拶を兼ねまして、私の自己紹介をさせて頂きます。
子供の頃は海や山に囲まれた温泉街でのんびり育ちました。
父が内科医をしておりましたので、子供の頃から病院という環境には馴染みがありました。
町でも病院でも父について歩いていると、「先生ありがとうございました」と患者さんやご家族から感謝されている父の姿を見ることがありました。
子供ながらに父は人から感謝される素晴らしい仕事をしているんだ、と感じていましたが、今思えばそれが私が医師を目指したきっかけだった様に思います。
先日小学校の卒業アルバムを開いてみたところ、将来の夢は「内科医になる」と書いていました。
祖母が肺の病で他界し、また親類にも慢性的に咳をしている者がいました。
医師になるなら家族が苦しんでいた病気を治す医師になる、という素直な想いで医学部を受験し、呼吸器内科医の道を歩むことにしました。
市中基幹総合病院で研修した後、大学病院で主に肺癌について学びながら喘息や様々な肺炎、COPD、睡眠時無呼吸症候群などについて診療にあたって参りました。
その後も横浜市や鎌倉市の基幹総合病院で働き、更に内科全般、呼吸器疾患について研鑽を積み多くの事を学びました。
その中で、患者さんが入院する前に、また症状が重症化する前に、もっと早期から介入できる事がまだまだあるのではないかという思いを抱く様になりました。
それができれば患者さんは症状が軽い内に問題を解決でき、治療期間も短くできる可能性がある。
その考えを実行するために横浜弘明寺呼吸器内科・内科クリニックで働くことにしました。
当クリニックの経営理念は、まさに私が抱いていた思いを体現化しておりました。
今後もこの理念は変わらないまま皆様の診療に努めさせていただきます。
まずはお気軽にご相談ください。
子供の頃、両親は共働きだったのですが、母は身体が弱く仕事から帰ると咳き込んだりすぐに寝込んでいたのを覚えています。
3人兄弟の真ん中だった私は、歳の近い弟の世話を任され、平日は買い物、料理を手伝ってくれました。
寝込んでいる時の母親の口癖は「誰か一人お医者さんになってくれればねえ」でした。
実際には専門が違うため母親の治療ができるわけでもなく、あまり助けにはなっていないのですが、この職業を選ぶにあたって上記のような環境が影響したことは否定できません。
受診する患者さんは体調が悪いだけでなく、病気についてわからないことから不安をお持ちなっている方が多いと思います。
受診することで、身体だけでなく心の重荷を減らし、すっきりした表情で自宅に帰れるような外来を目指しています。
私は山形出身で、市街地といえど当時はまだ周囲に田んぼの残るような環境の中、のびのびと育ちました。
公園や河原、田んぼで遊ぶような機会もあったことが、今になって振り返ればとても豊かな少年時代を築いてくれたこと、また明るく前向きな性格を培ってくれたことと思います。
また12歳ころでしょうか、テニスを始めてからは、ひたむきにテニスの練習と試合に打ち込む毎日でした。
結局、大学時代まで全て部活動でテニスを続けることになり、自分でも驚いています。
厳しい練習や、結果がついてこない時もありましたが、そのような中で「少しでも改善しよう」と日々目標に向けて努力したことは大きな財産です。
テニスに打ち込む傍ら、医師を志すようになったのは高校一年生の頃でした。
私の父は勤務医をしており、夜中や休日にも病院へ行く姿を幼少の頃はなんとなく、そして当たり前のように受け取っていました。
そして成長するにつれ、医師はやりがいはあるのだろうけど、少し忙しそうだな、なんていうように思うこともありました。
しかし高校一年生になり、漠然とでも自身の将来の姿を多少なりとも想像するようになると今度は、忙しさはあれど直接誰かのために働くができる。
そんな医師という職業に自分も就いてみたい、と意識するようになりました。
以降医学部へ進学・卒業し初期研修後に循環器内科医となり本日に至っているのですが、医療を取り巻く環境は本当に日進月歩、日々大きく変わっていると実感しています。
10年前とは比べようのないような大量の医療に関する情報が玉石混合の状態で社会に飛び交う反面、医学は日々科学としての進歩を遂げ、根拠に基づいた、ある意味ではルール化された検査や治療が可能となっています。
また先進的な検査法や治療法が次々と登場することは、そのような状況をより一層複雑にしているといえるでしょう。
そのような中で私が常日頃心がけていることは、自身が患者さんと医療の「接点」であることを自覚するということです。
医療従事者、特に我々医師が患者さんの症状や悩みをパーソナリティや背景も含めて正確に把握し、接点となって適切かつ必要な医療に結びつける。
そのためには常に新しく、正しい知識を持たねばならないし、一人一人の患者さんを深く知るべく、診察や会話を行う必要があります。
なにを当たり前のことを、と思われるかもしれませんが、私が大事にしたいのはそんな医療に携わる者が持つべき基本姿勢に他なりません。
「言うは易し、行うは難し」、人に紐づいた医療を心がけ、精一杯の誠意をもって診察させていただこうと思います。
関節リウマチや、全身性エリテマトーデスといった全身性自己免疫疾患(膠原病)は、本来自分を守るための免疫機能が調子を崩して炎症を起こし、様々な症状が生じます。
症状の経過と診察所見に基づいた診療を中核に、必要な検査を適宜行いながら、エビデンスに基づいた、より適切な治療を行うことを心がけています。
膠原病治療は日々進歩していますが、難治性で病気と長く付き合うことが少なくありません。病気を抱えながらも家庭・社会生活が送っていけるように共に病気に向き合っていきましょう。